ピアノ、特にクラシック音楽をやっておりますと、以下のような言葉にしょっちゅうお目にかかります。

指は、伸ばして弾かれるべきである。

ショパンは、このように弾かれなければならない。

楽譜に書かれていないことをやってはいけない。

日本語の文法書によれば、これらは「義務」「禁止」の表現とあります。

義務や禁止の表現は、本来、社会の秩序を保つ目的や他者の権利を侵害する恐れがある場合など、ごく限られた場合に使用されるものです。

そうしますと、ピアノにおいては「近隣住民の生活に配慮し、演奏時間や音量には制限を設けなければならない」「床が落ちないように、工事をしなければならない」というような、社会的な問題に関して、義務や禁止の表現が使用されるのは適切と思われますが、それ以外の部分に関して、義務や禁止の表現を使用するということが、はたして適切なのでしょうか。

「ショパンは、このように弾かれなければならない。」という言葉を例にとってみますと、弾かれなければならないというのであれば、では、その必然性はどこにあるのか、ということになりますと、「ショパンは、このように弾かれなければならない。」という言葉だけでは、これに関する明確な答えを得ることはできません。

こうして、ピアノに関する議論は泥沼化していきます。

「コンクールで入賞したいのであれば」とか「私と同じように弾きたいのであれば」というように、「ショパンは、このように弾かれなければならない。」と言う時には、あわせて前提となる条件なりルールなりを提示する必要があります。

どういうわけか、ピアノの世界ではこの前提条件は明示せず「〇〇しなければならない」とか「〇〇はいけない」と表現することが当たり前のように行われています。

ところで、「義務」「禁止」の表現は、「指示」というよりは「命令」に近いのではないか、ということも感じます。

「命令」ということになってしまいますと、それに答える選択肢は、従うか、従わないか、のどちらかに限られてしまいます。

ピアノの世界には、一種の徒弟制度のようなものがあり、それゆえ、そこで
使用される言葉が「命令」になってしまうのは仕方がないことなのかもしれません。

しかし、そのような「命令」というのは、本来、一門の中でのみ通用する「命令」であり、それを門外の人間に対して行った場合どのような結果になるのか、ということについて考える必要があります。

ピアノも、日本舞踊のように、○○流とか○○派というような流派が明確になっているのであれば、例えば、「ショパンは、このように弾かれなければならない。」という言葉も、「○○流では、ショパンは、このように弾かれなければならない。」ということになり、随分と違った印象になります。

いずれにしても、ピアノの世界で「〇〇しなければならない」とか「〇〇はいけない」という言葉に出くわした時には、その前提条件が何なのかを確かめてから、その言葉に対応するようにしたいものです。

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