この記事は、2009年から2011年頃まで、趣味のピアノ教室調和講師のかとうだいすけが、まぐまぐにて配信していたメールマガジン「ピアノ入門以前」に記載したものです。

2010/06/01

2003年に学習研究社から発売されました『ワルシャワの覇者』というDVD全集があります。

ショパン国際ピアノコンクールの歴史と、それに関わった人々のインタビューやコンサートなどの映像が、DVD31枚にまとめられています。

今日、巨匠として活躍するピアニストの若い頃の演奏など、31枚のDVDのいずれもが、大変興味深い内容となっていますが、その中の1枚に『ジェヴィエツキ教授の思い出』というタイトルのDVDがあります。

このDVDを見たときに、私は大変深い感銘を受けました。

そこで、今回と次回の2回にわたって、私が深く感銘を受けた部分についてご紹介したいと思います。

最初に、今回と次回のメールマガジンを作成するにあたって参考にしました資料をご紹介いたします。

参考DVD

ワルシャワの覇者 5 ジェヴィエツキ教授の思い出
ポーランド語翻訳:楠原祥子 学習研究社 2001年

参考書籍

ニューグローヴ世界音楽大事典 7 講談社 1993年

ショパンをどのように弾きますか? レギナ・スメンジャンカ著
大迫ちえみ訳 田村進監修 ヤマハミュージックメディア 2009年

このメールマガジンの内容は、私が上記の資料を参考にして、私なりに何かを感じた部分を中心としたものです。

従って、私個人の恣意的な意図が含まれてしまうことについては、避けることができません。

客観的でもなければ、絶対正しいでもない、主観的な内容であることを、最初にお詫び申し上げます。

可能であれば、是非とも参考DVDの本編をご覧になられますことをおすすめいたします。

続きまして、ジェヴィエツキ教授のプロフィールについて、ニュグローヴ世界音楽大事典に掲載されている内容を参考に、ご紹介いたします。

   

ズビグネェフ・ジェヴィエツキ(1890ワルシャワ~1971ワルシャワ)
ポーランドのピアニスト、教師、行政官。ウィーンの音楽アカデミーでピアノを学び、次いで個人的にマリア・プレントナーとパデレフスキに師事。演奏活動と同時にワルシャワ音楽院等で教鞭を執る。ポーランド音楽界の代表的人物であり、傑出した教師でもあった。ヘルシンキのシベリウス・アカデミー、ロンドンのロイヤル音楽アカデミー、東京大学から名誉学位を授与されるなど、多くの栄誉を受けている。

   

ジェヴィエツキ教授は日本にも来日されたようです。

ジェヴィエツキ教授の門下生には、オッコーノ、エトゥキン、エキエル、ハラシェヴィチ、ステファンスカ、グリフトウヴナ、スメンジャンカといった著名なピアニストがいます。

日本人では、中村紘子氏が師事され、DVDではコンチェルトのオーケストラとの練習の最中に、ジェヴィエツキ教授から指示を受けるシーンが収められています。

人物像につきましては、DVDではハラシェヴィチが映画を一緒に見に行ったり、いつもユーモアのある人物だったことを語り、音楽評論家のイェジ・ヴァルドルフは、教授は女性が好きでダンスホールにしばしば出没した、ということを語っています。

さて、DVDの中に『レギナ・スメンジャンカが語るジェヴィエツキ教授』というチャプターがあるのですが、このチャプターの中で、レギナ・スメンジャンカ氏が語っているジェヴィエツキ教授のレッスンに対する姿勢について、私は深い感銘を受けました。

このインタビューでは、まずピアニストとしての教授についてのお話があり、教授は常に知的でありながらも、直感力やファンタジーのような内面から自然に出てくるものも評価し、無意識的に出るものと意識的に創造するものとの調和を要求していたということが語られます。

これについては、教授自身が亡くなる直前に受けたインタビューの中で「芸術の原動力は感情であると確信しています」と述べています。(教授自身のインタビューについては次号で詳しく取り上げます)

その後、インタビューの内容は教授がどのようなメソッドで教えていたのか、という内容に移るのですが、ここでスメンジャンカ氏は、教授の教えの中で最も素晴らしかったものとして「生徒個々の個性を尊重することでした」と語っています。

教授は「真似」をとても嫌い、教授自身の演奏や他のピアニストたちの真似を絶対にさせなかった、とスメンジャンカ氏は語っています。

このあたりのお話に出てきます「個性を尊重する」とか「真似をさせない」という言葉は、昨今のピアノ教育において、しばしば耳にする言葉です。

しかし、次の言葉は、耳にする機会が少ない言葉なのではないでしょうか。

それは「個々の中で既に調和している個性を壊すことは絶対にしませんでした」という、スメンジャンカ氏の言葉です。

それにより、門下生に出た結果はそれぞれ全く異なるものであった、ということをスメンジャンカ氏は語っています。

昨今の、私が知っている範囲内の日本のピアノ教育を見ますと、個性を尊重することが大切だということがまことしやかに語られる一方で、あなたのショパンはショパンではないということがまるで当然かのごとく言われているように、私には感じられます。

真似になってはいけませんと言いながら、最終的には真似にならざるを得ないという矛盾に陥っているように、私には見えます。

あなたのショパンはショパンではないと言われる場合、このような弾き方がショパンであるというような基準があらかじめ設けられ、それに合致しているかどうか、ということで演奏が判断されているように私には感じられます。

私は、このような判断の仕方では「個々の中で既に調和している個性を壊すことをしない」ということは不可能なのではないか、ということを思います。

何よりもまず、個性というのは、他には2つとないからこそ個性なのではないでしょうか。

このようなものが個性である、という個性の基準を設け、それに合致したものを個性とする、とした場合、これを本当に個性と呼んで良いのかどうか、私は懐疑的にならざるを得ません。

このような弾き方がショパンであるという基準を設けた場合には、それに合致するかどうかということが問われるわけですから、合致しない部分があれば、基準に合致させるしかありません。

ここで問題になってくるのは、このような弾き方がショパンであるという、基準になっている弾き方はどこから来たのか、ということです。

今日ですと、評論家が絶賛するCDですとか、権威が認めた演奏家による演奏ということになるのではないかと思いますが、その演奏には演奏家の個性は含まれているのでしょうか、いないのでしょうか。

もし、演奏家の個性が含まれているのだとしたら、それは、その演奏家の個性による演奏となりますから、そのような個性が含まれる演奏は基準となりうるのでしょうか。

反対に、個性が含まれていないのだとしたら、それは個性の無い演奏ということになるわけですが、一方で個性が大切であるということが言われながら、個性の無い演奏が評論家や権威に認められるというのも、おかしな話です。

このように考えてみますと、個性というのは大切とか尊重とか言う以前に、あって当たり前のものなのではないか、ということを私は思います。

そして、ある人が弾く時には、当然、その人の弾き方になるのが当たり前なのではないか、ということを思います。

Aという俳優がある芝居である役を演じるときには、Aの声、Aの姿形で演じるのに対して、Bという俳優が同じ芝居の同じ役を演じるときには、Bの声、Bの姿形(衣装や化粧は同じものかもしれませんが)で演じます。

ここで、Bの声がAと同じではないから駄目だとか、Bの姿形、例えば身長がAと違うから駄目だと言うのは、果たして的を得た意見なのでしょうか。

私には、あなたのショパンはショパンではない、という意見は、芝居における上記の例のような意見と同じような種類のものに感じられます。

ここまで考えてみて、私は「個々の中で既に調和している個性を壊すことは絶対にしませんでした」という言葉が出てくる時点で、すでに何かがおかしいのではないか、ということを思いました。

個性を尊重しなければならないのであれば「個々の中で既に調和している個性を壊すことは絶対にしませんでした」というのは、わざわざ語るまでもなく当然のことなのではないでしょうか。

個々の中で既に調和している個性を壊すことが一般的だったからこそ、スメンジャンカ氏は教授の指導法について「個々の中で既に調和している個性を壊すことは絶対にしませんでした」と語ったのではないか、ということを私は想像しました。

ちなみに、このDVDのスメンジャンカ氏のインタビューが行われたのは教授の没後10周年とのことですから、1981年ということになります。

1980年のショパンコンクールと言えば、ポゴレリチの一件が大変有名ですが、その1年後のインタビューで語られた言葉がこれであるということも含めて考えてみるのは大変興味深いことなのではないか、という気がします。

このように申しますと「では、どのような弾き方でもよいのではないのか?!」という意見が出てくるのではないかと思いますが、門下生に出た結果は全く異なるものだったというお話に続けてスメンジャンカ氏はジェヴィエツキ門下生に際立った共通点がひとつあったと語ります。

「それは音楽のスタイルに非常に敏感だった事です」とスメンジャンカ氏は語ります。

このインタビューの中ではスメンジャンカ氏が語るところの「音楽のスタイル」についての詳細な説明がなされておらず、教授がスタイルの偉大な理解者であり、それについて説明をすることもできたし、実際にデモンストレーションを行うこともできた、と語られているのみなのですが、日本では昨年翻訳版が出版されましたスメンジャンカ氏の著書『ショパンをどのように弾きますか?』を読みますと、スメンジャンカ氏がお考えになっている「音楽のスタイル」について触れることが可能ではないかと私は思います。

著書全体が「音楽のスタイル」についての示唆になっているのではないか、ということを私は感じました。

ピアニストとしてのジェヴィエツキ教授が無意識的に出るものと意識的に創造するものとの調和を要求していたというスメンジャンカ氏のお話を元に、私は、演奏者それぞれの個性と「音楽のスタイル」との調和をジェヴィエツキ教授は生徒に要求されていらしたのではないか、ということを想像しました。

※上記の文章は一個人の経験から生まれた感想と、その感想をもとに作成された文章です。客観的でもなければ、絶対正しいでもない、主観的な内容であることをご了承願います。

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